プーケットへは、大学の講師として来ました。プリンス・ソンクラー大学が、日本語講師を募集していることを知り、応募したのがきっかけです。もともとタイとの出会い自体は、もう15年も前になります。20代の頃、バックパッカ―として世界各地を回っていた時。当時はヨーロッパに憧れ、地中海周辺、イタリア、モロッコからエジプトなど様々な国を旅していました。90年代のことです。その旅行の最終段階で、たまたま立ち寄ったのがタイ・バンコクでした。
正直、東南アジアにはまったく関心がなかったのですが、その時にタイの東北部・カンボジアとの国境近くにあるシーサケートを訪ねたんです。王朝の遺跡が残る場所を見てみようと思いました。
そこで偶然に日本語を話すタイ人と知り合いになり、NGOとして活動している日本人のところに連れて行かれました。その日本人の方は、地元のタイ人のためにいろいろなボランティア活動をしていて、子供たちの奨学金支援などもされていました。
同じNGOメンバーの中には、カンボジアで地雷撤去をやっている人もいて、すごい、と思い、タイでの日本人の活動に興味を持ち始めたんです。その時は私自身、何も協力できませんでしたが、翌日、またそこを訪ねてみると「一緒にやってみないか」と誘われました。その頃の私は、派遣やアルバイトをして好きなことをやっていましたので、すぐにタイ行きを決行し、約10カ月、彼のもとで過ごしました。
タイの人はみんなとても親切でした。私が住んでいたシーサケート周辺の人たちは貧しい暮らしをしていたのですが、それでも家に私を招いて、飲み物を買って来て出してくれたり「食事をして行け」と誘ってくれたり。人が優しい。物価も安く、もちろんスーツなど着る必要もない。だんだんとタイで暮らす魅力を実感しはじめていました。
再度来タイ、そして運命の糸が
バンコクでの出会いを導く
その後いったん帰国したものの、タイ語も少し覚えましたし、タイとつながっていたいと思うようになっていました。そして再度バンコクへ。
何とわずか1週間でタイ人の家内と知り合ったのです。タイ語を覚えるのに早くタイ人の友人がほしいと思っていましたので、ちょうど私が住んでいたアパートの対面に住んでいて、暇そうにしていた家内と知り合いになりました。
その当時も日本語の需要は非常に高かったので、私は日本語教師の資格を取るためにいったん帰国。専門学校に通い、日本語教師の資格を取得し、1年後にバンコクへ戻りました。
そして、たまたま立ち寄ったアソークのサミット・タワーでプリンス・ソンクラ大学の日本語教師募集の広告を見つけました。すぐに連絡すると、明日来て欲しい、ということになり、翌日面接、その場で即採用決定。とんとん拍子に話しが決まり、妻とともにここプーケットに移り住むことになりました。
2004年の津波があった年ですから、もう9年になります。あっという間でしたね。今では8歳の長男、6歳の長女とともに一家4人暮らしです。
プーケットはタイの中でも物価が高いことで有名です。住みにくいと感じることもありますが、子供たちはここの学校に通っていますし、私も、今の大学に正式に日本語学科が設立されるまでは、この仕事を続けるつもりでいます。その後は、子育てがひと段落した妻とバトンタッチし、主夫になりたいと考えています(笑)。
妻は、観光学部の大学院を卒業していて、バンコクでは自動車関係の仕事をしていました。
妻は英語を話しますが、夫婦間ではタイ語、妻と子供はタイ語で会話をします。唯一、私と子供が日本語でコミュニケーションを取っています。大学は残業もないので、なるべく長い時間、子供と日本語で話せる環境を作ろうと心がけていますね。
子供たちは日本語の漫画を読むのが好きですし、日本語には興味がありますが、タイ語に比べますと若干語学力は落ちるように感じます。
子供たちはタイで教育
自由に、好きな道を歩んで欲しい
子供は二人とも日本が好きなので、最低でも年1回は日本に帰ります。住民票もまだ日本にあります。ですが、子供はタイの学校で学ばせようと考えています。
今、二人が通っている学校は、英語の授業の後に、同じ内容でタイ語の授業をするカリキュラムです。だから宿題もダブル。テストも多く、あまり外で遊ぶ時間もない。見ていると大変そうですね。
私が彼らの年齢の頃は、学校帰りに寄り道をしたり、買い食いしたり、暗くなるまで外で遊んだりした思い出がありますが、ここではそういった機会があまりなく、ときどきかわいそうに思います。このところ、タイは教育に力を入れていますし、多くの子供たちが流暢に英語を話します。
語学はとても重要だと感じます。言葉が通じれば、どこででも生活できるわけですから。タイの中では、以前ほど日本語が重視されていないように感じます。タイを訪れる日本人より、むしろ日本を訪れるタイ人の方が増えている。これからは、タイ語の需要も高まるかもしれませんね。
そんな中、タイで学び、タイで育つわが子たちには、自分が夢中になれること、好きだと思えることを見つけ、自由に生きてほしいと思っていますよ。そしていつか、成長した子供たちと一緒にバックパッカ―として世界を回りたい。それが今の私の夢です。
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