お笑いの道かプーケットか - KAORIさん –

会員紹介

選択を迫られ、ここでの暮らしを選んだ

ガサッ、頭の上に何か落ちてきた。ギャーー、ヤモリだった。それ以来、私はチンチョッというヤツが大の苦手である――。

初めてプーケットに来たのは18年も前になりますが、9年間日本に帰っていて、再度ここに戻って来て昨年の10月から日本人会に入会しました。そもそもプーケットへは、ダイビング好きの従妹の付き添いで。しぶしぶやって来たという感じでした。もともとアメリカやヨーロッパの大都会の方が好きだったので、東南アジアにはまったく興味がありませんでした。最初にここに着いた時、町は汚いし、タイ料理も美味しいと思えなかったし、「私、ここゼッタイ無理~」と思いましたよ。
それがプーケットで主人と出会ったことで、9年間も住むことになるなんて。人間、どこでどう変化するかわからない。今でも不思議に思います。

実は日本では、女性同士でコンビを組んでお笑いをやっていたんです。
20代の頃、映画の学校に通っていて、本気で役者を目指した時期がありました。この学校の授業に漫才があり、講師に来ていた漫才師に「お笑いをやってみないか?」と言われました。最初は、私、お笑いなんてキャラじゃないし、「ゼッタイ無理~」と断りました。でも、お笑いをステップに役者になれ、と言われ、そういうものなのかなって。そして毎日のように舞台に立っているうちに、笑ってもらえることが快感になってきた。そのうちにTV出演も増え、仕事も順調に。 今、TVのレギュラー番組を持っている数々の芸人さんたちと一緒に舞台に立っていた頃を思うと、私も続けていたら…と思うこともあります。まさにこれから、という時にプーケットに来て主人と知り合い、芸の道ではなく、ここでの暮らしを選んだのです。

お笑いをちょっと離れてみると、逆にいろいろなことが見えてきました。とにかく観察力がないとできない仕事だから、ここに来ても毎日いろんな発見がありました。

「花柄ピンクに赤の服…どーした?」「あのパンツの丈、ビミョーじゃない?ほら、ヒラヒラしてる」いつもこんな話題を子供たちにふって、毎日笑いにあふれていますね。

ふつうのお母さんじゃ思いつかないようなことを言うよね、とよく言われます。そして、そのたびに「あ、私、お母さんなんだ」と…。

おもしろいものや笑えるエッセンスがまわりにいっぱいあるんだから、人生、楽しく生きなきゃソン。いつもそう思っているんです。

買ったばかりの家が目の前で沈没!
アメージングタイランドな出来事とは?

最初、パトンに住んでいたのですが、借りるより買った方がいい、ということになり、カトゥーに小さな家を買いました。その頃はまだ、ロータスもビッグシーもセントラルもなかった。だけどパトンは物価も高いし、カトゥーの方が暮らしやすいかな、と思ったから。

ところが、買って数カ月もたたないある雨の朝、ギーッ、ギーッという音で目が覚め、寝室を出てみたら、家が傾いてきて、後ろにある川の方にどんどん倒れていったんですね。慌てて主人と子供を起こし、大切なものだけ持ってとにかく外に出ると、1時間も経たないうちに家が崩れ落ちるように地面の中に沈没!

寝室のベッドの上に屋根が刺さるように落ち、下から噴水のごとく水が噴きあがってきました。私たちは大雨の中、ただ立ちすくんだまま茫然と沈んでいく家を見ていました。周りに住むタイの人たちもみんな集まって来てくれて、その後、沈んだ家から家具を外に出すのを手伝ってくれました。

何日かして、プーケット知事がお見舞いに見てくださり、新聞にも載りました。プーケットでは前代未聞の珍事だったようです。

 そもそもその土地は地盤がゆるく、家を建てられるような状態ではなかったことが、あとでわかりました。

オーナーの方が、あまりにも申しわけないと、気に入るところがあれば土地を譲ると言ってくれました。そして、2つ手前のソイを入ったところにあった今の土地をもらいました。土地は前の倍の広さ、大工さんはオーナーさんが手配してくれることになりました。家を失ったのは不幸なことですが、代わりに倍の広さの土地が手に入り、そこに気に入った家を格安で作ることができた。人生、ホントに何が起こるかわからない。

私はこの出来事を「アメイジング・タイランド」と呼んでいるんです(笑)。

ですが、私たちは家を建てて間もなく、日本に帰ることになります。私の両親が帰ってくるようにとしきりに言ってきましたし、夫も日本でビジネスを始めてみようと。私たち家族にとって大きな挑戦でした。

日本に戻ってから、主人はいつも寒い寒いと言っていましたね。雪が降れば、なぜか怒られましたし、日本での慣れない生活にイライラしていたようです。でも、実家のある横浜の鶴見にタイ料理のレストランをオープンさせ、TVに紹介される(このTV出演の際、私の昔の映像がながれ、家族ははじめて私がお笑いをやっていた事を知ります)。などしながら軌道に乗り、あっという間に日本で9年が経ちました。下の息子は日本で生まれました。

答えは一つではない

柔軟で臨機応変なタイ人の生き方が魅力

再びプーケットに戻ったのは、子供たちにタイに帰りたいと言われたのが理由です。

タイ人の考え方は、同じアジア人でありながら日本人とはまったく違う、と感じますね。それぞれ長所も短所もありますが、タイには臨機応変で柔軟な考え方をする人が多い。答えはひとつじゃなくて、いろんな生き方や考え方があっていい。そういうことをタイの暮らしの中で子供たちに学んで欲しい――。

そんな願いから、2012年3月30日にプーケットに戻り、まだ途中のままの家の壁塗りなど、やり残したことを少しずつ始めてきました。

先のことは考えない。子供たちの将来も、こうなって欲しいというのはなく、やりたいことをやれるようになればいいと思っています。何でもやってみなければわからないし「ゼッタイ無理~」と思うことでも、意外な方向に好転することってある。私はそれを私の人生の中で学びました。

そしてとにかく家族全員、いつも笑って生きていきたい。今はそう考えています。

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