彼こそ、日泰の架け橋だ!

活動報告

今から10年ほど前のことです。プーケット補習校に通っていた仁司くんの担任だった私は年度末の成績表代わりに、こんな手紙をお父さんに出しました。「仁司くんに、しっかりした日本語を覚えさせようと思ったら、この1、2年が勝負だと思います。プーケットで勉強するだけでは限界がありますので、一定期間日本に勉強にやったらどうでしょうか」。

結局、仁司くんは留学せず、ギターと出会って熱中し、いつの頃からか補習校には来なくなりました。その後、マヒドン大学の音楽科に60倍の競争率を物ともせず合格し、様々な音楽コンクールで好成績を収め、ドイツに留学して、20歳の若さでプロとして活躍し始めました。

タイで生まれ、タイで育っているのに、片親が日本人であるために、日本語習得を強制され、苦しむ子どもたち。自分の子どもの日本語習得が思うに任せず、苛立つと親たち。そんな親子にとって、コンサートのMCを、ほとんどタイ語で通した仁司くんや、その姿を目を細めて見守るお父さんの姿は、いいお手本になるように思いました。

日本人の魂を心に秘めつつも、タイ人として生き、世界で活躍する人物がこれからも、どんどん現れることを願っています。

頑張れ、仁司くん!プーケット日本人会は、キミを・・・そして、これから社会に羽ばたいていく補習校の卒業生たちを徹底的に応援するぞ!!

コンサート会場のブルー・エレファントは、もの凄い豪邸だった。こんなロマンティックなお屋敷がプーケットにあったなんて知りませんでした。お腹ぺこぺこだったけど、大満足!

コメント

タイトルとURLをコピーしました